2013年8月6日火曜日

広島・長崎  そして8月15日      

今年も暑い夏です。敗戦から68年、8月がめぐって来ました。絵本カフェにある戦争に関する絵
本、児童書を8月一杯ならべます。その一部を紹介します。

「えんぴつびな」長崎源之助・作 長谷川知子・絵

「約束」窪島誠一郎・作

「無言館を訪ねて」窪島誠一郎・編

「対馬丸・さよなら沖縄」大城立裕・原作

「地雷ではなく花をください」葉祥明・絵 柳瀬房子・文

「おこりじぞう」山口勇子・作 四国五郎・絵

「まちんと」松谷みよこ・文 司修・絵

「ひろしまのピカ」丸木俊・絵・文



「あの夏の日」葉祥明・文・絵
  今日、広島では平和祈念式が催されました。広島原爆投下から68年経ちました。2010年に初めて広島平和祈念式に参加しました。暑い日で、朝から太陽がジリジリと照りつけていました。原爆投下された日もこのような天気と聞いています。  この記念式には初めて国連事務総長、アメリカ駐日大使が参列しました。
     『えんぴつびな』(金の星社・刊)・・・わたしのこどものころ せんそうが あったの わたしのがっきゅうに とてもやんちゃな シンペイちゃんがいました。 でもわたしを いつもかばってくれていました。 あるひ シンペイちゃんは えんぴつで つくってくれた おひなさまをくれました。・・・  あるひ ひこうきがいっぱいとんできて わたしのまちは いちめんやけてしまいました。 
  シンペイちゃんは・・・・・・・・。     
     『約束』(アリス館・刊)『無言館を訪ねて』(講談社・刊)・・・先日「無言館」に関することがテレビで放映されていました。窪島氏は、ある日左手のない老画家と出会います。「自分は戦地から帰ってきて絵描きになれたが、絵が好きで画家になりたかった仲間たちがたくさん戦争で死んでしまった」と聞きました。窪島氏は戦没画学生の遺族をたずね残された絵を収集し長野県に収集した絵を展示する「無言館」を建てたのです。「無言館を訪ねて」は戦没画学生が描き残し、無言館に展示してある絵とその作者の経歴の写真集です。もう一冊あります。
     『対馬丸  さようなら沖縄』(理論社・刊)・・・昭和19年8月22日の夜、鹿児島の南、悪石島付近で、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃うけて沈没しました。軍の命令で九州へ疎開する沖縄の人々1661名をのせていました。このなかの八百数十名はこどもたちでした。生存者は157名だけでした。この絵本は、ドキュメンタリーアニメーション映画「対馬丸  さようなら沖縄」に基づいて編集制作しました。
     『地雷ではなく花をください』(自由国民社・刊)・・・絵本作家、葉祥明はこのシリーズ5作を絵本にしました。1990年代カンボジア・旧ユーゴスラビア・パレスチナ・アンゴラといった国々では、戦争が終わっても多くの地雷がそのままになっていた。その数世界中で約1億1000万個。多くの子どもや、大人が犠牲となりました。「地雷をなくして平和な世界を!」という願いをこめてこの絵本ができました。日本語と英語で文が書かれています。
     『おこりじぞう』(新日本出版社)・・・むかし。おとうさんやおかあさんが、まだほんの子どもだったころ。広島の町のある横町に、小さな石じぞうが立っていました。いつも笑っているような顔をしていました。人々は「わらいじぞう」だといっていました。  真夏の朝、アメリカ軍のB29爆撃機が広島上空に飛来し町の真ん中めがけ爆弾を落としました。原子爆弾でした。  いつもおじそうさんの前を通る少女がおじぞうさんの前で苦しみながらなくなりました。おじぞうさんの顔はみるみる怒った顔になりました。・・・・・・・・
     『まちんと』(偕成社)・・・作者は小学生の娘に戦争の話を聞いてくるという宿題がでたきっかけで、この絵本を描いたといっています。戦争を語りつぐということは説明することではないのだと。「わたしたちにわかる戦争の本ないの?」と聞かれ、生まれました。あの8月6日の広島の原爆の話が生まれました。「まちんと」という言葉は「まちっと」という方言を、幼い子がまわらぬ舌でいったのだろう思う。と作者はいっています。
     『ひろしまのピカ』(小峰書店・刊)・・・広島の原爆を知る絵本として、私はこの絵本が一番だと思います。北海道出身の丸木俊・夫の丸木位里とともに「原爆の図」を発表、大きな反響を呼ぶ。是非手にとってご覧になってください。
     『あの夏の日』(自由国民社・刊)・・・2000年7月29日・30日の両日、当地倶知安町で「北海道子どもの本の集い」が開催されました。そのときのメインゲストとして葉祥明氏の参加をいただき、ちょうど「あの夏の日」が発行され、この絵本についての講演をしていただきました。長崎の原爆投下を基にした絵本です。長崎市が全面的に絵本作りに協力してくました。日本語と英語で文が書かれています。

   こうやって戦争や原爆のことを綴っていますが、日本政府の曖昧さ(それとも二枚舌)が気になります。4月24日、スイス・ジュネーブでの核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本は核兵器の非人道性を訴える共同声明に署名しなかったのです。世界で唯一の被爆国でありながら。またいまだに原爆症に苦しんでいる人がいる状況があるのに、あの福島の事故がありながら、放射能という手のつけられないものがあると知りながら、核不拡散といいながら、輸出をする日本。戦争から平和へと大きな希望と未来にむけた『憲法』を改憲するという動き。『平和・NO原爆』は8月だけの声なのでしょうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿